アニソンの帝王で知られる水木一郎さんが、2022年12月6日にお亡くなりになりました。
2021年4月に肺がんが発覚し治療に励みながら、11月下旬には車いすでライブに参加し歌う姿を見せていた水木さん。
突然の訃報に悲しみの声が広がっています。
歌謡界のプリンス、アニソンの帝王などと呼ばれてきた水木さんは、若い頃は“うたのおにいさん”だったそう。
そんな水木さんについて書いてみようと思います。
水木一郎のwikiプロフィール

名前/水木一郎(みずきいちろう)
生年月日/1948年1月7日(享年47歳)
出身/東京都世田谷区
身長/170㎝
血液型/O型
アニメ・特撮作品の主題歌や挿入歌を数多く歌い、アニソンの帝王と呼ばれるようになりました。
1973年発売の『マジンガーZ』の主題歌は70万枚の大ヒットを記録しました。
水木一郎の代表的なアニソン
水木さんが歌ってきた代表的なアニメのオープニングテーマををあげてみたいと思います。
マジンガーZ『マジンガーZ』
仮面ライダーストロンガー『仮面ライダーストロンガーのうた』
侍ジャイアンツ『侍ジャイアンツ』
バビル2世『Babel 2 theme song』
新・巨人の星2『心に汗を』
ジャングル大帝『サバンナを超えて』
ここにあげたのはほんの一例にすぎません。
あれも!あれも?と本当に多くのアニメを彩ってきた人だったことがわかります。
水木一郎は若い頃うたのお兄さんだった!
数多くのアニメや戦隊もののテーマソングを歌ってきた水木さんですが、若い頃はNHKで二代目うたのおにいさんを務めていました!
『おかあさんといっしょ』のあれです!
うたのおにいさんをしていたのは1976年~1981年の3年間。
水木さんが28歳から31歳の頃になります。
その頃の画像がこちらです。

マイルドなアントニオ猪木さんに見えるのは私だけでしょうか。

45年以上も前なので時代を感じますが、整った目鼻立ちでイケメンですね!

歴代のうたのお兄さんです。『2』が水木さんです。
美声で子供たちを楽しませていたのでしょうね。
歌はジャズ喫茶からスタート

アニソン歌手の代名詞にもなっている水木一郎さんですが、最初からアニソンを歌っていたわけではないようです。
レコード屋を営んでいた実家の影響で小さい頃からジャズなどの音楽に触れていたとのこと。
していたそうです。
学生の頃には『どうせ日本人なんだから落語でもやるか』落語家を目指していたこともあったのだとか。
そんな水木さんは
16歳のときに、当時歌手の登竜門といわれたジャズ喫茶「ラ・セーヌ」のオーディションでグランプリを獲得。
その後、数々のジャズ喫茶でステージを経験してきたそうです。
水木さんの歌の原点はジャズ喫茶にあるのですね。
20歳で歌謡曲歌手としてプロデビューを果たします。
男前ですね~!

アニソンは1971年から
歌謡曲歌手として12曲レコーディングをしたものの、なかなかブレイクしなかったそうです。
「デビューしてまもなく、札幌で新人歌手のサイン会があった。錦野旦くんや、野村将希くんもいたんですが、僕のところだけ誰も並ばない。
並んでくれた人に『あなたには個性がない』って言われたのがショックでしたね……」
と過去にインタビューに答えていました。
歌手を辞めて、作曲家に転身しようとしていた矢先、転機が訪れます。
1971年、水木さんが23歳の時です。
『原子少年リュウ』のオープニングソングを歌うことになります
歌謡曲の歌手たちは、『漫画の歌手』のレッテルを恐れて、みんなアニソンを敬遠していたと言います。
もともと映画主題歌が好きだった水木さんは『アニメであろうと、主題歌には変わりない』と思っていたそうです。
当時のアニソン界は、なり手がいない ライバルレスだったこともあり、徐々にアニソンの依頼が舞い込んでくるようになったんだとか。
まとめ
以上『水木一郎は若い頃うたのおにいさんだった!歌はジャズ喫茶からスタート!』とのタイトルでまとめました。
水木さんにはたくさんの素敵な作品を残してくださって感謝感謝です。
最後まで読んでいただきありがとうございました!